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いなか茶屋 きんしょう さんのギャラリー繭玉に
一番に来ていただきました。
ありがとうございます。
記念にパチリ!
写真の腕前が いまいちで
青い洋服の 向田さんが...
カラーの大沢先生も....
ごめんなさい!
プリザーブドもせっけんのお花も
shuペルレのお花も 仲良く調和してます。
カラーを見て頂いたら やはり 3人とも 同じカラーを持っていました。
なるほど! なっとく! で ございます! 
chiaki chanが お母様と 甲府からも 秩父からも 前橋からも
お忙しい中 かわいいお友達も mamaと一緒に お出かけくださって
ありがとうございました。 私たち 4人 とても 感謝しています。
これからも よろしくお願いいたします。

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いつも、心の中で健一を見下している章子がいた。健一は、高校を出た後、実家の花の栽培を嫌がり、東京で就職をした。健一の母親は、農家を継がせるより、息子をサラリーマンにしたかったので、父親を説得して東京へ出してくれた。
180cmの長身で彫りの深い顔立ちの為、女子社員から人気があり積極的な誘いもあったが、純朴な性格からか、誰とも付き合うことなく変りも者扱いされるようになっていった。章子は、保田の事で頭がいっぱいで、健一の事を意識することがなかったので、逆に、それが健一に安心感を与えていたようだ。
180cmの長身で彫りの深い顔立ちの為、女子社員から人気があり積極的な誘いもあったが、純朴な性格からか、誰とも付き合うことなく変りも者扱いされるようになっていった。章子は、保田の事で頭がいっぱいで、健一の事を意識することがなかったので、逆に、それが健一に安心感を与えていたようだ。
でも、あの時、健一と居なかったら、食事を取る事も忘れてしまうくらい、日常生活が送れなくなっていた。
はっきりしない保田の態度に薄々別れの予感は感じていたものの、いざ、本人の口から、社会的な立場もあるので奥さんの事は何とも思っていないが、二度目の離婚に踏みきる勇気がないと言われた時は、自分の未来は・・今、目の前の事さえ考えられないと思った。休みなくタバコをふかし、毎朝、立ち上がれなくて這ってトイレに行ったりして、当然何日も風呂にも入らなかった。
はっきりしない保田の態度に薄々別れの予感は感じていたものの、いざ、本人の口から、社会的な立場もあるので奥さんの事は何とも思っていないが、二度目の離婚に踏みきる勇気がないと言われた時は、自分の未来は・・今、目の前の事さえ考えられないと思った。休みなくタバコをふかし、毎朝、立ち上がれなくて這ってトイレに行ったりして、当然何日も風呂にも入らなかった。
同期の健一は、おせっかいにも、毎朝迎えに来るようになった。初めは上司に休みの続いている章子の様子を見て来るように言われて来たのだろうが、自分以外に救ってやる人はいないと思ったのだそうだ。
保田とのつながりが疎遠になって行くのを待っていたのかのように、健一が、足しげく通って来るようになった。そして、よく食事に連れ回ってくれた。章子は、前世で花の雫を食べていたのか、霞を食べていたのか、食べる事に興味がなかった。健一の連れて行くところはどこも、女同士では行きにくい場所ばかりだったが初めて食べる喜びを知った。章子は健康そうな若い女になった。
二人の関係は、会社でも噂となり、ただ、一人の寂しさを埋められると言う理由だけで結婚した。これが、現実だ。と自分に言い聞かせた。
保田とのつながりが疎遠になって行くのを待っていたのかのように、健一が、足しげく通って来るようになった。そして、よく食事に連れ回ってくれた。章子は、前世で花の雫を食べていたのか、霞を食べていたのか、食べる事に興味がなかった。健一の連れて行くところはどこも、女同士では行きにくい場所ばかりだったが初めて食べる喜びを知った。章子は健康そうな若い女になった。
二人の関係は、会社でも噂となり、ただ、一人の寂しさを埋められると言う理由だけで結婚した。これが、現実だ。と自分に言い聞かせた。
結婚後、健一は、高崎支社に転勤を希望し、築七十五年の寒々しく広い実家で章子との生活を始めた。章子も特別反対する事もなく流れに身を任せた。苦しい思いをした場所で新しい生活を始めるよりもはるかに清々しかった。
我が家に戻って来た息子に安心したのか、一年も経たないうちに父親が亡くなった。
ハウスで栽培していたフリージアを、残された母親だけでは出荷することもできず、章子も健一と手伝って伸びすぎたフリージアを刈り取り、お世話になった人や親戚、友人に配りまわった。すっかり、花を配り終わった後も、しばらく、甘い香りが黒々とした家の柱にまとわりつき消えることが無かったが、呆気なく農家の生活も終わりを告げた。
我が家に戻って来た息子に安心したのか、一年も経たないうちに父親が亡くなった。
ハウスで栽培していたフリージアを、残された母親だけでは出荷することもできず、章子も健一と手伝って伸びすぎたフリージアを刈り取り、お世話になった人や親戚、友人に配りまわった。すっかり、花を配り終わった後も、しばらく、甘い香りが黒々とした家の柱にまとわりつき消えることが無かったが、呆気なく農家の生活も終わりを告げた。
初々しさのない東京の娘に、嫌悪感を持ったのだろうか長い間、冷たい物言いしか出来なかった姑は、半年前の骨折が原因で今も入退院を繰り返している。骨が空かすかで横になっていても痛いらしい。今では、章子を頼るしか生きる道がないと、様子を見に行く度に縋るように手を離さない。
四十まで独身で、章子の作った食事を箸で傍に引き寄せて、つまらなそうに食事をする小姑の佳江も、先月、何回だか数えきれないくらいお見合いの末結婚した。母親代わりの章子が、結婚の準備をした。義妹は泣きながら子供のように感謝した。
「章子でなかったら、出来ないよ。あんた、こんなところでくすぶっている人じゃないでしょ。だんなは、あたり前で、感謝もしないしさ。章子なら、もっとすごい事が出来ると思うよ」
その時も、つや子は言った。-つづく-
setuko san!今日は4個でした。
色々なお友達にあげたいそうです。

次回は ワイヤーの花台にクリスマス飾りを乗せます。
お楽しみに!


