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優香は、何か異常を感じて家に戻っていて起きて待っていた。優香は、章子を抱きしめて背中を指すってくれた。その晩は、優香は両親の部屋で章子と眠りについた。
何とかして、いつも以上にキチンと生活しようと心掛けたが、朝目覚める瞬間に不安に苛まれる。夜なかなか寝つけない日が続いた。
でも、それが嬉しい気もした。何故ならそれだけ、健一の必要性が身を持って分かったからだ。それに、優香に結婚を考えている恋人がいることを聞き、心配した龍一も東京から戻り、何泊か泊っていった。子供達が小さかった時以来久しぶりの交流が出来た。
これが、幸せだと思った。どんな風に仕事をしていたのか、記憶がなかった。
つや子の亭主の有森から電話が来た。いつまで経ってもつや子が帰らないので、そちらに何か連絡がいってないか?と言う内容だった。
章子は何も聞いていなかったが、有森が驚いた事を言った。つや子の今度の相手は、尾崎栄だったということだ。
彼は、すでに亡くなっている。コリノが見せた新聞の切り抜きの記事に出ていた内容は、生涯独身の彼は、突然自宅で倒れたが、ヘルパーが見つけて救急車を呼んだがその中で息を引き取ったと出ていたが、つや子が出掛けたのはその後になる?どういうことだろうか?
しかし、有森の息子は、つや子を軽井沢の先まで送っていっている。嬬恋の道の端で写生をしていた尾崎栄を車に乗せて、二人を浅間の鬼押し出しで降ろし、あとは、散策してからタクシーで出掛けるからと帰された。息子は、はっきりと二人の姿を見ているのだ。章子は、何か連絡があったら、すぐ知らせますと伝え仕事に向かった。
冷静を保とうとしていたが、心臓が飛び出しそうにざわざわしていた。
早く、果林と斉木に会って確かめないと。
おかげで健一の事を少し隅に置いておける感謝の気持ちが込み上げてきた。心配と安堵と不安を抱えて、桜吹雪の中で身体は宙に浮き、奥の方へと吸い込まれて行く快感に電気が走り、手のひらと足先がビリビリと痺れた。
果林は、全て分かっていた。斉木も以外に冷静だった。仕事が終わり次第アトリエに集まる事にした。
気持ちも落ち着いたので、昼食を取っている時に社長にも健一が家を出た事を話した。自分も離婚しているからなのか、好意的な態度で章子も救われた。それを口実に少し早く上がる事にした。
社長は、ダボとラボに順番に、自分の食べかけのヨーグルトを舐めさせながら、あなたも家の中で犬を飼うといいわ。と顔も見ずに言った。今までは、家の中が毛だらけになりそうだとか、カーテンがかじられると躊躇していたが、初めて前向きに考えて見ようと思った。
千分の一セントラルパークを味わう気持ちも無く、さっさと歩いたが、木々は、大きく揺れて「頑張れ!」と背中を押してくれた。
アトリエには、コリノがいた。斉木から連絡があったらしい。裁して言葉を交わさないうちに、次々と斉木と果林がやってきた。
二人とも普段はマイペースで回りが忙しそうにしていても、我関せずでのん気そうにも見えたが、事件が起きた時の刑事のように動作が機敏になっていた。斉木は、羽織っていたカーキ色の膝下まであるスプリングコートを脱ぎ捨て、小学校で使っていた古い机をいくつも繋げて大きなテーブルのようにした。優秀な助手コリノが、すかさず木綿の白い布をテーブルクロスにして広げた。
傍でじっと瞑想をしていた果林が、持ってきた地図を広げて、薄目をして手のひらで地図の上を探った。しばらくすると、「ここら辺りから感じるわ」果林の手のひらが止まった辺りは、軽井沢の手前の横川だった。全員が立ったまま上から地図を見下ろした。果林の示した場所は等高線がバームクーヘンの渦のようになっている。住宅らしき物も見当たらない、森か林か?誰一人一言も喋らなかった。
突然、事件が起こった。健一が置手紙一つ残して家を出て行ってしまったのだ。何の相談も無く仕事も辞めていた。章子は、現実を突き付けられた。
何も考えられない時間だけが過ぎていった。離婚しようかと思った時もあったのだから考えられないことでもないのに、やはり、有り得ない出来事で錯乱した。
打ち合わせたように、優香も帰ってこない。誰にも言えず娘だけが頼りに思えた。半狂乱になって優香にメールを送り続けるが返事は来ないまま夜が明けた。
それ以上何も行動するすべがなかった。仕事を休み何故かバスタブにお湯を入れた。戸棚をゴソゴソかき回して入浴剤を探したが見つからなかった。上半身ははだかのまま二階の部屋からマジョラムのエッセンシャルオイルを取ってきた。それを瓶ごと入れたい気分だ。頭まで湯船につけた。
長い間の鬱積が爆発したように、ゴウゴウと唸るように泣き叫んだ。ずっと、見ない振りして無い事にして生きてきて、出て行くのだったら自分の方ではないか!皆いなくなって一人取り残された。誰の事も見ていなかったし、気持ちを理解し歩みよる事もしなかった。同じ家に寝起きしていて、交じり会う交差点の無い違う空間に生かされている家族だったと、見せ付けられ思い知らされた。母親の体内に戻りたい本能が湯船の中に章子の身体を引きずり込んだまま離そうとしなかった。
はだかのままバスローブを着て、龍一の携帯を鳴らしたが、すぐ留守電になってしまい、何も言わず切った。つや子に言いたくなかったが、章子の残された手持ちのカードはたった一枚、何を言われてもいいからどうしたらいいのか聞いてみよう。
何回もつや子のナンバーを押そうとするのに、指も身体も動かない。どのくらい時間が経ったのか、気がつくと薄暗い部屋になっていた。
「あぁ、映画観に行こう。」章子は一番良い思い付きではないか。動けない身体が脱ぎ散らかした服を着て、映画館に向かう。何処をどう運転したか意識がないが映画館に辿り着いた。2階建てでいくつもスクリーンのある新しく綺麗な建物で、すぐに観られる映画の券を買い、慌てて席について辺りを見回すと章子の他は一人、サラリーマン風の男が一番上の真中にいた。このまま二人きりで映画が始まるなんて、暗くなると急に怖くなってきて、襲われる程若くはないが、物取りもいるし不安になって、映画館で家族の事、健一とこれからどうしたいか整理したかったが、映画が終わるまで待てずつや子の家へ向かった。
章子の分身のアウディは、つや子の家に行く道順を覚えている、空間を縫うように運んでくれた。桜の花びらが群青色の空に舞っている。路に散った花びらは風でまた空に舞いあがる。ぐるぐる回る花びらの輪の中を進んで行く先に待っている未来は、明るいものであって欲しいし、過去にも戻れたらと願った。
車の前に飛び出した影が横切った。
「あっ、満子だ」背中を丸めて、伸びた前髪で顔を半分隠していたが、確かに満子だった。近所の噂では、化粧品会社の社長が、海外へ満子のサロン開店資金を持ち逃げし、満子は多額の借金を抱えたらしい。あのデザイナーズハウスのリビングは、サロン開店の為に買い込んだヨモギエステ用の椅子も、かなり大きな箱で、梱包されたまま足の踏み場もなかったそうだ。保証人にでもなっていたのだろうか、不似合いの家は売りに出され、満子の家族は夜逃げ同然に姿を消した。そんな小説の中だけの出来事は人事で章子の身に起こるなんて有り得なかった訳なのに、章子の身にも降って沸いた。
章子の人生は、海に降る雪のように降っても、降っても、積もることがない。また、一からの始まりになる。悲しみも消え思い荷物が背中に覆いかぶさった。
最後のカードを使うことが出来なかった。つや子は、ファンの一人と出かけていて家にはとうちゃんと、とうちゃんにそっくりな息子が残されていたが、今までにも好き勝手に旅行やゴルフにファンと出かけ歩いているつや子は、暫くするとひょっこり戻ってくるので、親のいない間に嵌めをはずして楽しんでいるような子供の留守番に見えた。
もう行く所がない。運を天に任せ章子は斉木のアトリエに行って見た。電球のオレンジ色の灯りが窓のあちこちから漏れている。静かな夜で林の道を一歩進む度に落ち着いた気持ちを取り戻せた。
窓を覗くとコリノが胡蝶蘭と石膏のデッサンに油絵の具を乗せていた。コリノが振り向いて、にっこり笑い待っていたように手招きをしている。章子は、受け入れられてほっとし、渋い入口の戸を身体が入るくらい開けて頭を下げて滑り込んだ。最初からここに来る事になっていたと言い切れた。コリノは、コーヒーを煎れて章子に手渡し、籐のイスを部屋の隅から持って来て、「どうぞ」と差し出した。
隙間風の入るアトリエは、花冷えの外と融合している。懐かしいダルマストーブの上にシチューを煮込んでいる鍋がかけてあり、時々鍋の蓋を開けてかき混ぜる。斉木は居なかった。健一が残した置手紙を見せたが、コリノは驚かず「そう」と言うと筆を洗い片付け始め章子に向き合った。
「大丈夫よ。放っておきなさい。自分の生き方を考える為に必要な時間だから。必ず帰ってくるわ」
コリノは、包容力のある全ての母の象徴に見えた。コリノが新聞の切り抜きを見せた。「この人の絵がすてきなのよ。残念ね。斉木先生の恩師で尾崎栄先生、知ってらっしゃる?」
「ええ、公園で見かけたことがあります」
「斉木先生は、お葬式の手伝いで出かけているのよ。私は、留守番よ」
コリノさんが留守番で良かったと言いたいのに、頷いただけで言葉がでなかった。章子は、理由もいらない、言い訳も聞かず、健一が帰ってきたら黙って受け入れようと決心した。
「またいらっしゃい」
とコリノに見送られた。ーつづくー
早速インターネットで検索した。軽井沢の美術館は改築工事で休館になっている。落胆の気持ちと諦めきれない思いで検索していくと、尾崎栄の絵が桐生の小さな画廊に飾られているのが分かった。画面に現れた絵の不思議な空間に風が吹くのが見えた。共鳴という言葉が浮かんだ。
と母親が子供に言うように言った。それでも、斉木は固まっていた。その姿は映画で
何かに追われて怯えているようだ。いつまでも章子も斉木を気に掛けていても仕方ない。自分の仕事に没頭した。活け込みが終わると、後は社長と斉木で積んでおくからと章子と果林は帰された。こんなに遅くなる事は殆どないが、主婦の仕事としてはやり過ぎの気もした。
-つづくー
今日も葬儀が入っているから忙しいな。八時半に紅屋に着いても、三階で寝泊まりしている社長はしばらく降りて来ない。ダボとラボが悪戯して散らかっている店の中を片付け始めると、歩きながら髪をポニーテールに束ね果林がやってきた。